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展覧会概要
作家紹介
帆布とは

尾道帆布について

 帆布は、その名の通り帆船の帆に使われる丈夫な綿布のことです。江戸中期頃
から北前船の中継地点として栄えた港町尾道では、が日常の風景としてありまし
た。この頃はといった手織木綿を二反帆、三反帆と刺しつぐ産業が盛んに行われ
ていましたが、明治初期になると向島の農家の人々が松右衛門帆を副業として製
帆しはじめました。そして明治後期には、帆船の帆だけではなく様々な需要が拡
大したため帆布産業が工場化されました。木製織機から鉄製機械に変わるころ尾
道帆布という言葉も生まれたと言われています。

 大正、昭和初期から帆布は日常品から軍需としての生産が盛んになりました。
尾道帆布も朝鮮や樺太や台湾など戦地に送られていたと言います。後の昭和30年、
朝鮮戦争が終わりをつげると需要が落ち込み、少ない日常品の製品も帆布から
化学繊維と移り変かわりました。全盛期には10ケ所ほどあった帆布工場も次第に
機械の灯を落とし、尾道向島にだけとなりました。

<帆布が使われているもの>

  (江戸時代中期から)
 トラックのカバー
 大型船のハッチのカバー
 テント
 大砲カバー
 戦時中のグライダーの羽
 前掛け
 配達袋
 リュック
 ズック
 跳び箱やマット  など、

帆布は、日の光を遮りながら通気性があり、天然素材ということで様々なフィー
ルドで見直されています。
現在は、尾道市内にあるなどで、バックや帽子など帆布を日常で使いやすく手に
とりやすいものとして提供してくれています。
NPO法人工房おのみち帆布の営むショップが、2004年の11月に尾道市土堂に移動開店しました。
■帆布という名称は、江戸時代まで、船の帆に使われる布を総称し帆布としていたが、明治以降、綿を素材とした平織りの厚手の布を帆布と呼ぶようになる。
■刺帆とは、手織木綿を2、3重に重ね合わせて刺し縫いすること。当時の綿布では1反での強度が足りなかった。
■尾道帆布工場株式会社昭和9年に創業を始めて以来一貫して同じ製法で現在も帆布の生産を続けている。

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